木魂 木の国 日本、日本の木には魂が宿っています、私たちは「木魂」と呼びます。

木魂とは

日本の木には魂が宿るといわれています、それを「木魂(もっこん)」と呼びます。
神様がそれぞれの木を通して私たち人間を守り、育んでくれます。
古代の昔から、日本人の心には、木が宿り、木と共に文化を築いてきました。
日本人の心である木のぬくもり。
木を通して日本人の心を甦らせる手助けとなります。


御神体として神聖視されている御神木は、木が守り神となり、災難から人を守ってくれる神であり守護神です。
御神木の周りには自然と他の木が生えることなく、木の幹には注連縄が巻かれています。


木にはいろんなものを清める効果があるといわれています。聖書に載っている”シダーウッド”という木は、防腐効果があり、感染症を治すことで古くから知られています。エジプトのピラミッドの棺や、ミイラづくりに使われたそうです。
学名Cedrusは『力』を意味するアラビア語から由来し、強壮作用があり、倦怠感を取り除き、神経衰弱や腰痛に効果があり、リンパの流れや静脈瘤を改善し、セルライトや脂肪の蓄積除去にも働きかけます。


ヒノキは、血圧低下、殺菌防腐、精神安定作用、消臭作用があり、虫を寄せ付けない防虫効果もあります。
桐も防虫効果や、湿度調節機能もあります。
昔の人々が防虫剤のない時代、着物をひのきや桐のタンスに入れたのは、生活から学んだ知恵で、その効能を知っていたからでしょう。
青森ヒバは、殺菌力が強く、湿気に強く腐りにくく白蟻も寄せ付けません。
その香りは心身をリラックスさせる効果があります。杉は、大脳を刺激して脳の働きを活発化させる作用があり、その香りには鎮静効果があります。
松は、アレルギーや喘息の原因である家ダニの増殖も抑えるため、喘息の発作や動脈硬化を防ぐ効果があります。


木には母の懐に抱かれたような心の解放感があります。
木の持つ色や香り、手触り、木目、質感は心身をリラックスさせ、人間の自律神経を安定させるフィトンチッドを発散させるため、安らぎを感じさせ心によい影響を与えてくれます。
木から発生するマイナスイオンは、リラックス効果があります。
木目には1/fというゆらぎのパターンがあり、それは心臓の波動と同じでくつろぎをもたらします。
木は紫外線を吸収し、目の疲れを防ぎます。

「身土不二(しんどふじ)」とは、「身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である」ということで「身体と大地は一体で、人間も環境の産物であり、暑い地域や季節には体を冷やす作物がとれ、寒い地域や季節には体を温める作物がとれるため、暮らす土地の旬のものを食することで体が環境に調和し健康でいられる」という考え方です。
これは食べ物だけでなく、木製品である家具や建物も同じ気候風土のなかで育ち、環境に調和した地元の木を使うことで、体にやさしく、心に穏やかさが生まれるのです。
飛騨の根付が一位の木を使うのは、身土不二において重要です。
木は伐採されてからも生きています。
強度を増し続け、呼吸をやめません。
木は数千年の歴史において一度たりとも人体環境に弊害を及ぼしたことのない、あらゆる生物が好むものです。


木の国 日本


飛騨には、古来より育まれてきた木の文化が連綿と続いています。
かつて飛鳥や奈良の地でひたむきに都の造営に腕を奮った飛騨の匠の歴史があり、千数百年にわたりその技術が今も受け継がれています。
飛騨の木づくり文化の源である飛騨の匠の血と技と心は、子々孫々に受け継がれ、数多くの神社仏閣や、町家建築、祭屋台など、今も飛騨の匠の伝承を見ることができます。
飛騨の匠の豊かな感性と、高度な技は少しも色あせることなく、飛騨の伝統的な一位一刀彫、飛騨春慶塗、家具づくりや根付など、さまざまなモノづくりの中に脈々と息づいています。


日本最古の和歌集である万葉集には「あれやこれやと浮気はしない、飛騨びとの打つ墨縄が一直線であるように・・・ただ一筋の道を行くのだ」と、都で活躍している飛騨の匠たちの打つ墨縄による直線は、人の手によるものとは思われないほど正確で、その匠たちの真摯で高度な技術の証が詠まれています。


日本書紀には、皇位継承をめぐる諜反の理由で捕らえられ、死罪とされる大津皇子に加担したとして、朱鳥元年(686)に新羅の僧・行心(こうじん)が子の隆観を伴って「飛騨国伽藍」に移されたと記されています。
飛鳥時代に、政治的に有能な高僧を移すにふさわしいと、中央政府からも認知された寺院が、飛騨に建立されていたことになります。
「飛騨国伽藍」というのは、発掘調査の結果、寿楽寺廃寺(古川町太江)であることがわかっています。


今昔物語巻24には、飛騨の匠と、絵師の名手である百済川成との腕自慢の話があります。
延喜元年(1074)完成の勅撰国史書である三大実録には、平安宮大極殿再建には飛騨の匠60人が賜餐され、その完成時には飛騨の匠20人ほどが祝宴を賜ったとあります。


「飛騨の匠」歴史を紐解くと、大宝元年(701)に大宝律令が、養老2年(718)にはそれを改修した養老令(賦役令)斐陀国条が制定され、匠の徴発が制度化されています。
飛騨国は租・庸・調などの税のうち、庸・調がすべて免除される代わりに、里(郷)ごとに匠丁10人を差し出すことになっていて、任期は1年でした。


平安中期成立の和名抄によれば、都の造営に徴用された匠は100人を基準として定められ、平安期には毎年130人の匠丁が都におもむき、政府の各機関、宮内省の木工寮や造宮職、修理職に配属され、制度が自然消滅する平安末期まで、およそ500年間にわたって飛騨から都へ出役した匠は、4〜5万人にもいたといわれています。


都の造営において評価の高かった飛騨の匠たちは、中央政府の仕事を終えると、有力者たちは待ったとばかりに家へ雇い入れることが多く、任期を終えた匠たちは故郷の飛騨に帰らず、飛騨国からは逃亡と見なされていたいいいます。


平安末期になると、武士階級の台頭によって匠の徴発の律令権威が薄れ、自然消滅的に終焉をむかえていきました。
飛騨の匠の新たな歴史は、鎌倉期以降、技能集団的から個人的な匠となっていきます。
中世以降、全国各地に飛騨の匠作として現存する多数の建造物が物語るように、たくさんの飛騨の名工が歴史を綴ってきました。


一位(イチイ)は、約八百年前(平治元年)天皇即位の際に、飛騨よりこの木で造った笏(しゃく)を献上したところ、ほかの木で作られたものよりも美しく質が高かったので「正一位」という最高の位を与えられたことからついたと伝えられている。
学名も一位となり、現在も天皇即位、伊勢神宮の式年遷宮の際に用いられている。


木彫とファッション


 できれば自分の皮膚につけるものや、口に入れるものは、作っている人の顔が見たい。
気持ちよく作ってくれたら、その人の気持ちが作っているものに入ってくる。
そして使う人がその人の気持ちを感じる。
これが真の豊かさだと思うのです。
ただデザインの形がいいとか、色が素敵だとかそういうことだけで、豊かさが生まれるのではない。
最近になってそうしたことを知り始めた日本人が少しづつだけど、増えてきました。
 日本人は、ものに気持ちを入れる、ものに生命を与えることができます。
それを私たちは「魂」を入れるとも言っています。
明治前までは、焼き物にしても、小物にしても、版画や染めものにも、ありとあらあゆるところに日本的なものがありました。
 今、少しづつだけど、むかしのような感覚が出てきています。
ネイルアートや根付もそのひとつかも知れません。


民芸の提唱者・柳宗悦は、「伝統工芸品の美しさは、生活の中で使われるうちに、『用』のみが残った美しさ、『用即ち美』である」という考え方から、「用即美(ようそくび)」という言葉を生みだしました。工芸品は使うことで美しさが磨かれます。


いい器ができる条件は、「用即美」につながっています。
どんな人が、どんな時に、どんな料理に使うかを想像して、具体的なイメージができているかどうかだといいます。
想像できていないと、見た目は面白くても、料理が映えなかったり、使いにくかったりします。野菜が映える色をサラダ用に、大勢で使う器なら大きめのサイズに、器を持ち上げる機会が少ないのならば重めにしたりなど、用途に合わせた器の形や色に表現していきます。
使うときのことを考えた必然性のある美しさが、「用に即することで生まれた美」=「用即美」といえます。


表面上の美しさと、実質の使う上での美しさが一致することが、「用即美」の大切な要素です。
用途に徹して無心に作られたものは、無駄な要素が削ぎ落とされ、すべてが美しいのです。
だから美しさは日常にあります。
「美」というものは、見た目だけではなく、使うという要素を考えなければいけないのです。


根付はまさに用いて美しい文化です。
観るだけでなく触って感じる芸術品なのです。木は切られても、彫られても、呼吸を続けています。
木彫は生きたアートなのです。
触ることによって、木の色も変化し、木の艶も出てきます。
年月が経てば経つほど、味わいが出てきます。


根付には、鈴のような音で楽しむ木彫もあります。
木の中をくり抜いて小豆を入れ音が出る作品は、第4回芸術祭の特別賞を受賞しました。
これは使うことを意識した「用即美」の極みです。
また、違った意味で用いて楽しいのが、恐竜の口から骸骨が出てくる作品などのからくりを持った根付です。
こうした素晴らしいアイデアの木彫は、使う人や使い方をイメージしてつくられた「用即美」といえるでしょう。



根付の歴史

根付ブームと海外事情
根付が生まれた江戸時代初期は、日本の着物文化において巾着や印籠、煙草入れなどの提げ物などとして、紐の部分を帯にはさんで携行する際の滑り止めとして使用されたのが根付のはじまりといわれている。
当初、木の枝や小さな瓢箪など、身近にあった物が使われ、それらに彫刻や絵付けがされ、徐々に手のこんだ物が作られるようになった江戸時代中期には、根付を専門に制作する「根付師」が登場して、装身具として将軍から大名、武士、町人と幅広い層に使用された。
根付は彫刻作品で、装身具の一部して帯の下から通し提げ物を留めるために、できるだけ小さく、丸くすることが必要である。
また、上下左右どこから見ても遜色なく収まるデザインで、さらに紐通しの穴も必要。
こうした根付を制作する上での制約を守り、実用の完成度の高い技術品として進化してきた。
ところが幕末から明治にかけ鎖国を解いた日本に押し寄せた欧州文化によって、服装も洋服へと変わっていくと実用品であった根付は需要が無くなってきた。
その結果、根付の芸術性を評価し日本文化として認めた外国人により、江戸から明治にかけての優れた根付作品が海外へと流出していく。


彫刻

彫刻(一位一刀彫)
19世紀に江戸で活躍した高山出身の根付彫刻師・松田亮朝(すけとも)に師事した松田亮長(すけなが)が、一位をノミだけで彫り上げる刀法で、彩色のない、刃跡を鋭く残す彫り物をあみだしたことから始まり、銘木一位を、一刀一刀に気持ちを込めて彫り上げられた彫刻が一位一刀彫といわれる。
一位(イチイ)は、約八百年前(平治元年)天皇即位の際に、飛騨よりこの木で造った笏(しゃく)を献上したところ、ほかの木で作られたものよりも美しく質が高かったので「正一位」という最高の位を与えられたところからついたと伝えられている。
学名も一位となり、現在も天皇即位、伊勢神宮の式年遷宮の際に用いられている。
一位一刀彫の特長は、木目をそのまま活かし、赤太(内側)と白太(外側)の色合いをそのまま活かし、表面に色は塗らない。
仕上げは手彫りで行い、彫り跡を残す。 1975年5月に一位一刀彫は伝統工芸品として通産大臣から指定を受けた。


屋台

高山祭は、日本三大美祭(京都の祇園祭・秩父の夜祭り・高山祭り)のひとつに数えられ、春の「山王祭(さんのうまつり)」(4月、日枝神社/屋台12台)と秋の「八幡祭(はちまんまつり)」(10月、桜山八幡宮/屋台11台)の二つの祭りの総称をいう。
その大きな特徴は、動く陽明門に例えられる絢爛豪華な屋台で、高山の豪商たちは、屋台の改修に大金を出し、大工や彫刻家、塗師たちに腕を競わせた。
そのため江戸・京都の豪華な建築と美術工芸を吸収しながらも、旧形や伝統にこだわらず新しいものを求めた高山独特の形を作り出した。
社会生活の単位団体であった屋台組は、山王氏子、八幡氏子ともそれぞれ16組あり、屋台を組の宝として強固な団結のもとに祭礼、修理、保存してきた。
火災や破損によって改修のたびごとに、他の組の屋台に負けまいと、凝った意匠(いしょう)が考案され、形態も少しずつ変わってきた。
画期的な構造は、狭い路地のその場で方向転換が簡単にできるよう「戻し車」が取りつけられていることである。
また高山の屋台は中段に赤い布がぐるりと張ってあり、それが腰巻きに似ていることから、別名「腰巻き屋台」とも呼ばれている。
かつて屋台は分解してから分散保管をしていたが、屋台が大型になるにつれて、そのまま保管できる土蔵がつくられた。

◇春祭の屋台(日枝神社)山王祭12台
1.神楽台(上一之町)屋台行列の先頭で囃子を奏す
2.三番叟(上一之町)三番叟のからくり
3.麒麟台(上一之町)谷口与鹿(よろく)の彫刻など、絢爛豪華
4.石橋台(上二、神明町)美女が獅子に変化するからくり
5.五台山(上二之町)彫刻、刺繍幕、見送幕などが見事
6.鳳凰台(上二之町)三色の胴幕。堅牢で技巧的
7.恵比須台(上三之町)純金鍍金の金具、与鹿の彫刻
8.龍神台(上三之町)竹生島(ちくぶじま)龍神のからくり
9.崑崗台(片原町)台名は中国の金の産地にちなむ
10.琴高台(本町一)鯉づくしの意匠
11.大国台(上川原町)屋根柱に鴬張りの工夫をする
12.青龍台(川原町)天守閣風の屋根、三層の台形

◇秋祭の屋台(八幡宮)八幡祭11台
1.神楽台(八幡町・桜町)屋台行列の先頭で囃子を奏す
2.布袋台(下一之町)布袋と唐子のからくり
3.金鳳台(下一之町)神功皇后と武内宿禰の人形
4.大八台(下一之町)三輪の構造、御殿風の屋台
5.鳩峯車(下二之町)三輪の屋台、綴錦織幕が優れる
6.神馬台(下二之町)神馬と馬丁の人形
7.仙人台(下三之町)唐破風の屋根など、古風である
8.行神台(下三之町)役行者を祭神とする
9.宝珠台(下三之町)屋根上の大亀が特徴的
10.豊明台(大新町一)御所車、彫刻など多様な装飾
11.鳳凰台(大新町一・二・三)谷越獅子の彫刻など気品のある屋台



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